人生の師と呼べる人を挙げるとしたら、開高健と村上春樹は外せない。どちらも小説家だ。文学少年でもないのに偏った傾向かもしれない。
僕の幼少の憧れは開高健その人だった。まだルアーフィッシングが認知されていない1970年代に彼は既に海外を釣り歩き、「フィッシュオン」という本を出した。
僕がこの人を知ったのは中学生の時なので、1980年代ということになる。
開高健という人が、僕の好きなルアーで釣りの旅をする、という話を聞いて特番放送を見た。
「なんなんだこの人は」というのが最初の印象。
太い。格好良くない。おっさんだ。しかも変な関西弁だ。
「大人はそんな自由な遊びはしない」と信じていた時代。でもそこには50歳を越えたじいさんの自由で奔放なロマンがあった。「こんな大人、いいんだろうか」という迷いと、「僕も こんな大人になりたい」という願望が僕の中でクルクルと巡った。釣りをする彼の瞳の奥には、分別のない子供にはまだ理解し難い深遠があった。
僕が高校に行く頃には彼は死んでしまった。
彼の最後の特番がおそらく「開高健のモンゴル大縦断」だと思う。
写真の格好はこの地方で狩りをする時のカモフラージュの衣装だ。白い小動物(ウサギか何か)を模した衣装らしい。
白い衣装でクルクルまわって踊りなが ら標的に近づく。時にはほふく前進。またクルクルと踊る。そうやって獲物に警戒されずに近づくことが目的らしい。
こんなアホらしくなるくらい旧式の狩猟スタイルにも彼は喜んで同行する。
「クスクス」と彼が笑っていたのを今も覚えている。50歳を越えて。
あとで知ったが、この人は天王寺で生まれ、寿屋(現・サントリー)宣伝部員として東京支店に転勤し、PR誌「洋酒天国」を創刊、編集発行人として編集長をつとめた有名な人だった。
また彼は戦地に赴いて発表した一連のルポルタージュ文学や純文学で多くの賞をとっている。
どちらかと言えばテレビで僕が見たのは開高健という小説家の側面に過ぎないようだ。
残念ながらというか、僕は開高健の文学作品をほとんど読んでいない。持っているのは釣りにまつわる書物ばかりだ。彼を語るに一面だけを見すぎているかも知れない。
でも、だ。
僕は50歳になってから、こんな白い衣装を着て、言葉も通じない国の猟師と踊りながら、クスクス笑うことはできるだろうか。
彼は、大阪が生んだ、筆と竿を持つスナフキンだと思う。
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